あけましておめでとうございます。

  新しい年がやってきました。
 みなさん、心機一転の目標をそれぞれに掲げられたことでしょう。
 
 今年はよい年になるといいですね。
 自分だけがよくても心が晴れないことは、2011年の巨大地震と険しい復興への道を思うだけでも十分わかることだと思います。
 
 京都のつどいで、浄土真宗のお寺をまわった際、私は「世の中、安穏なれ」という言葉に出会いました。京都のつどいに行った人、覚えていますか?
 それは以下のような意味でした。

 「戦争への危機感やいのちの軽視、倫理観の欠如などに伴う出来事が相次ぐ現代社会にあって、私たち一人ひとりが自己中心のこころを反省して、同じいのちを生きている相手の存在に気づくことが求められています。
自分一人を善として、相手を排除する考え方に真の安らぎはありません。善と悪に固執する偏見を破り、対立の構図を解消できるのは仏の智慧だけであります。
聖人は、仏法がひろまり、世のなかが安穏であることを願われました。(親鸞聖人750回大遠忌webサイトより)」

 宗教の考えは「神・仏」というところでパースペクティヴを迎える仕組みになっているのですが、私達は、そこに私達の思考と取り組みの積み重ねでたどり着こうとすることで、より能動的でありたいと願います。
 だから、たとえば、ここでいう「仏の智慧」とはどういうものなのか、うすぼんやりでも感じ取ること、考えてみることが大事だと思うのです。同じように「世の中、安穏なれ」という願いとはどういうものなのか、それは宗教・宗派を問わず、一度受け入れて、咀嚼して、味わってみるといいと思います。そうすることで、その言葉に込められた意味を自分の血肉にできるのですから。

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 家族が健康であってほしいなあ。

 友達が元気でいてほしいなあ。

 東北で苦しんでいる人達が早く幸せになれたらいいなあ。

 みんなみんな自分らしく仲良くくらせたらいいなあ。

 そのような願いが、「世の中、安穏なれ」、という言葉に込められているのではないでしょうか。みなさんもそういう風に願うことはあるでしょう。
 勝った、負けたとか、儲かる、損するとか、そうしたことよりももっと根源的なものを大事にしたいと願う心。きっと、誰にもある心。でも時に忘れられそうになる心でもあります。忘れてはいけない。その心を、大切に育てていきましょう。

 そして。

 あなたも誰かに、健康であってほしい、元気であってほしい、あなたらしく生きて欲しいと願われていることも、決して忘れてはいけません。
 だから、自分の体や心の健康を大切にすることも、世の中を安穏にすることなのだと心得ることです。

 さらに。

 誰もかも、願い、願われ、そうして生きている。みんなが大切に思っているし、思われている。だから、ためらわず、迷うことなく、みんなを大切にしましょう。

 大切にする。LOVEを初めて日本語に訳した人は、そのように訳したということです。

 今年も、よろしくお願いします。

 くずてつ